初めて社会に出て仕事をする際において、自分自身について知ることが多いのはいうまでもないことです。大学生が「一度、勤めてみないと敬語の使い方は覚えないですよ」等とよくいわれることがあります。それに、日本文化の特徴を表す慣習でさえ、職場でしか経験できないものもあるかと思われます。しかし、日本人らしいと言われる目上の方に対する気遣い、遠慮する傾向や、職場の外部の人と内部の人との接し方も換える等の習慣に付き従わなければ日本人じゃいない、というわけでもない。私は帰国子女の友人や知人からもいわれますが、知識としてあっても、実際、納得できないこともあります。
自分の短所と長所を自覚することと同様に、一個人としてどういう信条を守って行きたいかを再確認することは、社会人としての最も重要なレッスンです。私はアメリカと日本の間で17年も生きて来ました。自らの信条を作り上げていくプロセスの中で、当然日本文化からたくさんのものを取り入れてきました。しかし、日本文化のすべてを受け入れたわけではありません。日本文化とアメリカ文化両方の魅力的な点とそうではない点を見極めて、自分の中に取り入れたい要素と余り取り入れたくない要素に振り分けてきました。そのようにして築いた自らの信条、更にいえば自らの文化で生きて行く決心があってこそ、国際人だと思います。
国籍を問わずに、日本で国際人として勤めようと思うと、様々な問題点が浮上すると考えます。私は国際人が一番苦労するところまたは国際化社会の実現に大きく障害となる点は日本文化の特徴の一つといわれる本音と建前のことだと考えます。和を保つことまたは人の面子に注意を払うのは日本社会で最も重要とされる上、英語でいわれる「ホワイトライ」(直訳:白い嘘、罪のない嘘)は重要な役割を果たします。「建前」を「嘘」と英訳してはあまりに素朴ですが、日本では理由付けの多い人又理屈ぽい人が嫌われることに大きな矛盾があるのでは。つまり建前というものは、そもそも本音を言わずに、理由付で闘争を片付ける一つの社会手段ではないか。決して、建前は闘争解決措置だけではありません。それは日本社会の封建的な体質を表しているのに違いないでしょう。問題の本質を明確にした上で双方の意見を合理的に論じ得ないものは、現代の国際社会でも成功できないと言う意見が最近、司法改革などでも指摘されています。合理的でグローバルな社会になろうと力を尽くしている国にとっては、これは重要な課題でしょう。
私は現にこの建前と国際社会の矛盾で苦労した例があるが、人生に大きな影響を与えた例があります。日本では、雇用条件また仕事内容を明確にしないケースが多いと思います。一定の労働力及び職業能力よりも人の人間性を見て、労働者を雇うことが決して珍しくないです。私はそうして雇われた経験もあります。経営者のビジョンと言われる多少曖昧であるが経営目的を聞いて、それを具体的な経営事業で実現する仕事はまさにエクサイティングでしょう。しかし、日本の建前社会ではいかにも難しいことでしょう。
こう言った状況で成功するには努力の上に多くのコミュニケーションが必要です。どちらがかけても難しくなります。従来ならば、ノミュニケーション(飲みながら会話を交わすこと)等などの人間関係手段は意見交換に効果がありましたが、不景気ということもあって、そういう手段が減って来たと見られます。私でも、経営者が形だけのつもりで語った内容を本気にとって、過去にいろいろと難しいこともありました。こいう期待不一致や外国人雇われの従業員に実質的なポストのないいわれる「飾り外人」というものは建前構造がその根拠になっているのでは。企業の国際化に対する期待に応じえない結果になり、日本で国際人として働くには一番難しく感じる所ではないでしょうか。