新聞などに投稿してみたいと思っていたエッセイだったが、帰国する前の準備などでばたばたしてしまって、、
–
近頃、思わぬハプニングがあって、しばらくの間、足が不自由になる生活を送ることになった。高校時代から20年にわたってきてボード系のスポーツや武道をやってきて、とうとう足を骨折してしまった。毎日の生活を通じて、東京駅には階段が多いことや、ホームとホームの間の乗換を考えながら生活する意識から、東京はまさにバリアーフリーになっているかを、身近な生活で考える機会となった。
去年から、私は、日本の中央政府の行政庁、裁判所、国会で研修しており、たまたま足を骨折した次の日から、東京高等裁判所での研修が始まる予定であった。その日の朝のこと、東京駅で山手線から降りて、ホームの逆方面までいかないとエスカレータがなく、通常の出勤の流れより余計10分をかけて、丸の内線の改札を通って出勤の終点駅へ向かった。霞ヶ関駅のホームで降りて、改札口までエレベーターで上がって、裁判所へたち向かおうとしたところ、日本の”バリアーフリー”の現状は、まだまだ厳しいものだと、日本の司法の中核のところでわかった。使えるエレベーター、エスケレータもなく、ギプスで固定した足の松葉杖で階段を上がるほかないことがわかった。普通、蔵売僧の方はどうしているかと駅の方に尋ねたところ、予め連絡をしておく方は駅の従業員が運んで行っているそうです。それは出るときのことで良いとしても、出先で連絡が出来なくて戻ってきた場合はどうなるかと訊いたところ、斡旋とした表情。病院で外科医院の先生に言われたことを突然思い出した。私が電車や公共交通手段について質問したところ、タクシに乗った方が良いと、質問に答えないで話してくれた。
しかし、2ヶ月以上に亘る松葉杖の生活を終えたところ、東京の施設はいろいろと足が不自由な方に対して厳しいと実感しているが、東京に住む”東京の人”のマナー、言って見れば文化の方が気になる点が多い。
初めて松葉杖で出勤した朝、駅に向かって歩道の左の端っこを歩いていると、反対方面から歩いている人は、あらとあらゆるところから歩いてきてぶつかってきていると、なにかルールを間違えて歩いているかと気になった。しかし、去年から歩いていた歩道にてのルールが変わったということがなく、如何にもルールを守っていない人が多いことに気づいただけのことだった。
私が左通行の歩道で歩いていても、時間帯などによって歩く人が多い方が歩道の”車線”を多く使ってもいいという暗黙の了解があっても人の迷惑になっているはずはないと自分の頭の中で再確認して停まった。しかし、左手に面している壁に沿って左側の「一車線」で一所懸命とぼとぼと歩いている松葉杖の人でさえ、平気でぶつかってくる人がいることがわかった。
群れで歩道を歩く人を抜けて、やっと駅に入ってほっとしていると、今度、電車に乗ろうとすると、先に並んでいても横から人がはいることもあった。しかし、それよりきになることは東京の電車に乗ってからの文化。
3ヶ月近く松葉杖の生活をして毎日2回電車にのって、毎月20回くらい通勤するということを計算すると120回くらい松葉杖に頼りながら電車に乗ったことがある。その中、席を譲ってくれた人、たった5人しかいなかった。毎回、車両の優先席のある場所を探して、電車にのってから慌てて電車が動き出す前まで席の近くまで行っても、ブロンドぱつに染めたお姉さんでもスーツ姿の若いお兄さんの前に立って、”席を譲っていただけませんでしょうか”と訊いた。
聞かなくても180なんセンチもある外人が松葉杖で入ってきて、座りたいだろうと思わないのか、いえ、思いやらないのかと思う。この紋は目に張らぬのか。優先席を電車で設けるとのはなしが最初出てきたときに、多くの人が反対したと聞いている。電車の全席は思いやりで優先する席ではないかとの説得力がある議論があったそうだ。どうやら、全席のどころか、今の東京の電車には優先してくれる席がそもそもないと経験している。
東京は日本の代表に掲げられているが、これは私が習った思いやりの日本ではない。今でも地方へ行くと、若い人は言われる前から席をまずたって譲ろうとすることが礼儀だ。相手がどうですかと言わせるところまでのことでさえ、失礼かと思われる場合もある。電車が動き出して倒れそうになっている人に対して、「座りますか」と聞いても、もういいでしょうと思われることは当然あるかも知れない。
若い人が座っていいもか。中年の疲れた人が座ってもいいか。妊婦、足が悪い人、年配の人だけが座ればいいということではない。電車に乗ったら、自分の世界に入って、人を見ぬふりで無視するようなルールではない。自分の見回りの人を思いやりながら生活することを訴えたい。
今回はこの足の骨折で思ったことにかぎるわけではなく、東京、とりわけ電車を乗る生活は、地方と違うと感じるところが前から多かった。電車を乗りながら「お天気がいいですね」、「すてきな帽子ですね」、「今日すいていますね」
などの簡単な挨拶でさえ交わしたか。今、挨拶を電車に乗っている隣の人とするとキチガイか。私はそう思わない。しかし、あんまりに近いところで存在が遠くになってしまった東京の生活を考えた方が良いか思う。私が米国の田舎で生まれながらこの日本で暮らしてきた一年を考えるとたくさん良いことがあった。しかし、選択があれば、日本の”田舎”と言われる違う都市で過ごしたかもしれない。それは、いろいろあるが、すくなくても東京にいながら、日本にいるような気がしないことが多い。東京を時々出て、東京の人も昔のような日本を一緒に経験されるのはいかが。