新技術コグニティブ無線からみた無線電波の入門と今後の改革を考えましょう

December 6th, 2005

米政府の連邦通信委員会(FCC)では、2002年に電波監理への新しい取り組み方についてのタスクフォースがパウエル前委員長により設立されて以来、様々な経済学的及び法学、または技術的な観点からみた電波監理についての取り組みが立案され開始されてきている。同じく、日本では、2001年のe-Japan戦略または2004年のu-Japan“戦略“から発進したユビキタスネットやブロードバンド対策について取り組みを進める動きが見られる。このように両国で電波監理の規制改革が進められている中で、最近重要な技術として浮上がり、そのタスクフォースにおいて検討されてきた最先端の新技術がある。それはソフトウェア無線(Software Defined Radio、以下SDR){別紙の説明を参考ーf1-}iで処理される人工知能の力を持つコグニティブラジオテクノロジ(以下、CRまたはコグニティブ無線)である。このテクノロジーを活用することにより、情報社会にとって最も重要となってきた無線電波という資源が、より多くの利用者に活用され、より有効的かつ混信を生じことなく利用できるようになると言われている。
ここでは、CRについての基本的な技術内容、行政での対応、さらには今後の電波管理への影響についてのべるが、まず、アメリカにおいて無線電波という物理的な天然資源を位置付ける「電波監理」の規制緩和の概念、その取り組みの(何年)の成果、及びCRがその多くを実現しつつあると考えられている要因について説明する。
「アメリカで見る電波という天然資源を規制する『電波管理』」
情報社会を支える現代社会の情報産業、とりわけ通信にとって、最も重要な天然資源と見なされてるようになったものは、無線電波の電磁波である。アメリカでは、電波は、1934年以後は、自由な共有財産または私有財産とみなすことなく、公益を害することがないよう行政で利用を規制する必要があるとしてきた。しかし、情報社会の進歩に伴い激増する電波に対する需要と電波の社会的重要性を勘案して、1934年に連邦法律である通信法によって、米国では、電波という資源は、国家の連邦通信委員会(FCC)と国立情報通信局(NTIA)で監理する天然資源位置付けそれ以来、米連邦政府が抜本的に新たな電波監理を探ることとしている。FCCでは、パウエル前委員長によって設立されたSpectrum Policy Task Force(以下SPTF)が顕著な動きとも言えるが、NTIAでも今年大統領から命令を受け、FCCのSPTFの同様で、根本的な観点に戻って、電波を法律論、経済論などのあらゆる観点から、電波をどう規制すべきかについて行政内外に問いかけている。(NTIAでは電波の有効利用などの実行プランの策定について、2005年11月30日の締め切りとされており、まさにホットトピックスであろう。)
FCCの利用制度では、電波を私有財産または共有財産と考える両方の制度がある。FCCの免許制度(ライセンス系ともいわれる)ならでは、特定周波数で一利用者だけに認められる利用、いわゆる排他的な利用(exclusive right)というものがあり、その権利を取得するために、競売で免許権利を”買う”という方法がよくとられる。ライセンスを勝ち取った者は、他の所有権と同じように、他の者をその免許の所在地(多くの場合は一定の周波数を指す)から排除する法律上の権利を持てるようになる。当然、通信法上では”電波”を所有することは硬く禁じられているので、英米の法理学においては、W. N. ホーフェルド (Wesley Newcomb Hohfeld)などの学説による法的関係の分析では、完全な自由たる権利にはならない”bundle of rights”という制約付き及び分類化された権利制度もある。電波という資源を利用するための許可は、取得者にとって重要な経済的価値がある場合が多く、最近のメディア集中排除の問題の要因となっている、大手放送免許を所有する企業や携帯通信事業者の合併などをみると際だってわかるはずである。例えば、通信、放送事業者の場合、主な財産となっている資本は、国から利用許可された免許で電波を排他的に利用できることに違いないであろう。よって、経済論に沿った市場原理でみる電波の利用許可は、一種の権利として存在するものだという一つの前提となり、アメリカではその権利をどう定義して取り扱うべきかというのは、電波監理にとって重要な課題となるわけである。まさにSPTFから発展した二次市場によるスペクトラムリース(免許人の第三者への利用一部貸出し権限)やそのほかの市場原理を尊重する政策は、これを基礎概念にしている。
しかし、FCCの電波監理はライセンスによる利用許可だけではなく、共有財産として扱う「コモンズ」という形式の解釈論も重要である。家庭用で使われる電子レンジ、コードレス電話の受話器など、またはアメリカの通信業界の蘇生にもなったと言われる”WiFi”の無線LAN通信は、すべて無線電波を出しているが、その「利用」についての”ライセンス”は不要となる「アンライセンス」、いわゆる免許不要の制度で扱われている。ある一定の周波数の範囲では、低電力の送信であれば大人数の人が同時に電波を利用しても混信は発生しない、という理屈がこの免許不要制度の根本にある。“小さな国を目指す“今日現在の行政にとっての規制緩和の実現性においてみても、新技術が次々に誕生することによってライセンス制にせざるを得ないような自体が次々に減少しているという声も多く、規制緩和が進む中では、免許不要制度のメリットがより一層注目されている。
どちらの制度にも一長一短があるので、極端にどちらかに統一するというのではなく、今後は両方の長所を活かしつつ、積極的に両者を織り交ぜながら、新しい電波管理が統制されることとなるであろう。しかし、どちらの制度においても、新技術、とりわけコグニティブ無線は欠かせない役割になりつつある。
「CRとは具体的にどんな技術を指すのか、どんな政策に関与しているのか」
「許可」なしの利用が認められない電波の世界においてこそ、どのような技術をどのように利用することを認めるかというバランスが重要となる。導入される規制は、技術的な可能性に見合って現実的でなければいけないが、同時に技術の足を引っ張るようなこと、あるいは技術の可能性を活かせないようにすることがあってはならない。FCCのCRについての政策策定は、この均衡を基本として、2003年の規則制定告示(Notice of Proposed Rulemaking、以下NPRM)から2004年報告命令(Report and Order、R&O)へと進んでいる状況である。規則制定告示における政策提案の主な内容は、以下にます五つの質問・提案であった。1また、2004年の報告命令ではSDRのセキュリティや適合証明についての規則改正もあったが、そのほかの二次的市場やルーラル地域における無線インフラ対策など、課題の様々な最新の政策に関与している。
この分野を開拓したジョセフ・ミトラー電子工学博士は特に四つの知能(監視力、指示力、決断力と行動力)でCRを定義付けている2。なお、CRの定義は様々であるが、基本的な定義として「意識」と「推理」する知能を有することが要点だと考えられている3。CRは知能を持つソフトウェアだと定義しても、漠然としたイメージのみで実際の技術の中身を把握することは多少困難だが、CRは電波環境を意識する機能、いわゆる”awareness”、またはその電波環境および実際の利用状況についての情報を活用し最適に電波管理する機能、いわゆる”reasoning”などで電波監理の理想なケースに近づかせる力を持つ技術と見られている。Awarenessとは、様々なところから情報を収集して、その得た情報を分析して知識として記憶することを指す。情報処理の人工知能学の世界ではこのような力は知識管理(Knowledge Management)などの学問分野とされている。また、Reasoningとは、知能学では、命題論理(述語論理)や統計的推理などの行動を計画し実行するような学問分野に当たる。
最近際立っているCR機能の応用した政策としては、地上波テレビ割当周波数において免許不要局による周波数利用を検討する政策がある。この政策では、免許不要の微弱送受信機が場所の意識および電波環境を測定し有効利用を行う演算処理能力がある場合においては、地上波テレビの鑑賞に混信起こさずに共用が可能な地域があり得るのではないかということについて検討している。2004年に規則制定告示が公開されてから、多くの通信メーカや事業者の間では激しい議論が交わされてきているが、まさにこのCRの新技術がなくては可能な話とはならないと思われる。
FCCのほかに、米国連邦政府機関である防衛先端研研究所(DARPA)では、CRを活用して、連邦政府による電波利用の効率性、信頼性などを10倍にまで上達させるということを目標にしているXG(次世代の通信技術)プログラムの振興を図ってる4。また業界では、SDRを積極的に振興させているSDRフォーラムのトレードグループや、モトローラの大企業からVANUという中小企業まで幅広い企業の活躍が見られる。国際面では、ITU(国際電気通信連合)では2007年のWRCに向けて、SDR・CRの今後の世界的な技術基準の統一も議論されている。
以来、日本では、SDRとCRは総務省が2003年12月15日にSDRの基準認証制度について意見募集を発表して以来、ユビキタスネットやブロードバンド政策などの面では真剣に検討している様子がわかる。やはり、電波がグローバルな社会において重視される資源である限り、CRの法規による取り扱いが今後重要な課題として残ることだろう。

さて、ソフト無線とはなんでしょうか。アナログ・ディジタル信号処理とまたは半導体・ASICとFPGA(汎用的な処理装置)の違いを背景にし、ソフトウェア無線は、送受信の論理命令が書き換え可能なRAMにて、波形作成の搬送波作成、情報信号を搬送波に変調、信号処理制御は処理装置で実行します。ハードウェアを改造する必要もなく、周波数、変調方式、振幅作用などを構成して、どんな送受信信号にも応用できて、通信出来るようになります。いわゆる、従来のパソコンと専容器の違いです。
波形を作成・解釈するソフトの部分はアンテナに繋げたA/DとD/Aカードとインターフェイスして、ベースバンド、IF、またRF帯の信号処理はすべて一般の汎用プロセッサーやDSPで行えます。信号処理は書き換え可能になっているため、最新のフィルターを利用したいときでもまたは違う変調方式を実験行いたいときでもソフトの更新・開発によって実現することができます。ソフトのポータビリティ〔プログラムの移植可能性〕を重視して開発していると、信号処理命令は自分の5万円パソコンでも最新型の専用機の処理装置でも同じソフトが実行可能になります。既存品に負けないフィルターのソフトウェア開発ができるし、トランシーバーの内蔵フィルター・チューニング等の機能はソフト制御で設定・調整ができると即時に最適なフィルターを選択してリアルタイムなインタフェア‐対策に役立てるなどで、公共の電波の最適利用にも繋がります。ソフトの更新ができると、現状の必要に応じてフィルターや変調方法を選択や更新によって、今まで出来なかった電波管理でも可能になるでしょう。直接IF帯まで変換できますので、Non-Linearな変調までもできるようになります。可能性は本当に無限になります。ソフト無線はソフト処理に大変柔軟な基盤だというわけです。
※表1:ソフトウェア無線の形態と発展

On science education and the Kansan in Japan..

October 23rd, 2005

Having grown up most of my life in Kansas, I have a particular interest in the continuing debates about the teaching of evolution in school. Growing up there I thought of myself as quite liberal. After moving around some more, particularly going to law school in the DC area, I discovered I was a midwestern liberal or perhaps a bipolar conservative. (More on that discussion in another blog.)

My family and I have been living in Tokyo for several months now and there are alot of interesting things to do. We went to the National Science Museum, http://www.kahaku.go.jp, in Ueno recently. The adults of the group were very (pleasantly) surprised to see evolution very clearly described and represented. The exhibits were interesting and well organized to describe the scientific processes involved at various stages of the Earth’s history. The family makes frequent (usually a couple times a month but in the past several times a week) trips to the Smithsonian National Natural History Museum. It’s of note how different the presentation of evolution “feels” recalling the exhibits and then seeing those in Ueno.

This evening again there was a very interesting children’s program on NHK 3 (one of the Japanese national public broadcasting stations) describing theories on early development of life on Earth. The kids found it very interesting. That kind and quality of programming is difficult to find in the U.S.

While anectdotical, I am convinced there is more and more of a program distinguishing religious from either politics or science. As a result the Constitutional separations of church and state are being actively dissolved, and Kansans (such as myself) are prohibited from evolving. Perhaps without the ability to evolve ever higher intelligence I won’t have to worry about any changes in my government structure.

Ahah! Must be natural selection at work again..

quickie legal “short story” or the pyrrhic apparition

September 30th, 2005

The tone of his partner was incredulous. In the seven years that Sam O’Reiley had known Tom, he had never known him to lie, or cheat or steal. Except for the fact of Tom’s incarceration, Sam had no reason to think Tom could commit the slightest act of naughtiness. Sam also had never known Tom to enter a plea of not-guilty on behalf of his clients. In fact, no client Tom had ever represented had ever plead innocent to a crime. Tom had a way of sniffing around the slightest hint of indulgent talk to find the truth of a matter. However, for most of his clients Tom needed nothing more than a cool logical intellect to discern guilt. Knowledge of a client’s guilt would not under most circumstances move an attorney to seemingly throw in the towel and plead for the mercy of the court. Tom had the uncanny ability to get help for clients, in the process of inculpating them. Seemingly iron-clad judges and prosecutors would bend to the generally reasonable demands he would make. To be sure, his clients paid a debt to society, but they often avoided the hell that was life as a repeat offender. He could negotiate psychiatric assistance from prison in exchange for the hardest labor. He could place clients in prisons where race relations would not require clients to sell their soul to the closest gang for protection. He knew the system well. Surely he crawled his way out of his past life by exploiting it.

Not many a convicted rapist can find a law school that will admit him. Nor can a menace to society, even a reformed one, easily find admittance to the practice of law. Tom did however, by exploiting ever kind grace, and sense of higher liberal principle. Of course, his quid pro quo was to be the defense of innocently charged criminal defendants. Things did not quite work out as some had planned. Rather than vigorously defending defendants innocence, he seemed to be interested in proffering only so much reasoned argument prepare for a plea. No doubt plea-bargains were common place but Tom seemed to working for the other side. In the end, his clients were always pleased with the outcome, five-years out (the average sentence). Hard and fast was Tom’s way. The liberal bar didn’t like him. They felt he’d sold them out, or betrayed his convictions. Afterall, here was the man who had ridden the goodwill of many supporters to become famous declaring his innocence and attacking the legitimacy of a criminal justice system that ignored race only so far as it targeted for it.

Tom declared his sanity to Sam. He also claimed to be true to his convictions. He was waiting for the innocent victim to come along–his pyrrhic champion. He would wait no longer.

Sam had shared much with Tom over the seven years he’d known him. When they started out together as young public defenders, the only thing they shared was the same last name. Tom had finished school at a barely accredited state school, after scraping to finish a undergraduate degree from an equally regarded local school.

Sam’s upbringing was quite different. A wealthy suburban kid who did well in school, he enjoyed a seemingly effortless rise to a top law school, well greased by expensive tutors, prep-courses, and the occasional nudge from his influential father. Sam’s love of the law was a matter of breeding. That certainly didn’t limit his ability. He was an impeccable attorney–wasting his talent in his father’s heated opinion. Nevertheless, his only significant fault was he didn’t remember much of his undergraduate studies from all the drinking–a habit not completely shed.

Tom’s exposure to learning was very different. During his eleven years in prison, he had kept himself busy reading everything he could find. It had paid off. In the twelve years since he had left prison, he had risen to become one of the most savvy criminal attorneys in the state. It was only too ironic that twelve years prior to that he stood in a courtroom for his sentencing.

Today was a special day for Tom. He explained the facts of the case to his partner, ignoring the subtle clues of Sam’s other interest in Tom. Tom sold a story of police wrongdoing, prosecutorial discretion abused, and an innocent boy at the wrong place at the wrong time. The story was a convincing one. It was told with the same passion Tom always conveyed. There was something different from all the other stories Sam had heard. Somehow he didn’t believe it. It didn’t seem right.

Tom continued. Eventually, Sam was convinced that the case was a likely win. He was comfortable with Tom arguing for the client’s innocence. Something didn’t seem right though. Sam left the room somehow confused by the meeting.

Tom was silent. He stared out the window. He was finally ready to tell another story. A story of a boy who was also at the wrong place at the wrong time–a long time ago. This boy however was not right in the head. He was mixed up. He’d had too many things happen to him to be a friendly dinner date. The story Tom didn’t tell Sam would have been a short one. He would have set the scene in a bar, and closed in a bathroom. The story would not have been pleasant, but it was a story Sam deserved to hear. It was a story Tom should have told alot of people long ago. It was a story that would end properly with a judge announcing a single word at its close, “guilty.”

It was not a story Tom would consider telling again. In fact, he had to run to catch up with Sam to explain that they would have a new story to tell about their current client. That story alone would end honestly with the client’s soft uttering, “guilty.”

ちょっと不思議な父の日

September 19th, 2005

今年の「父の日」は、近所の友人にヒンズー教の神社へ誘われて、異文化の差を感じながら、改めて家庭を大切にしたいという気持ちを抱きました。

ヒンズー教の集まりへ参加するのは、初めてでした。インド出身の人がほとんどで、女性は色鮮やかなサリーという伝統衣装の姿が多くて、男性は、インドの暑苦しい夏に最適なうすい綿の洋服の人が多かったです。神社へ入った瞬間は、衣服と神社の飾りのカラフルな雰囲気が印象的でした。

礼拝が始まると、伝統楽器のタブラ太鼓やエレクトーンから音がアンプ付で大量に流れ出しました。最初は、音があんまりに大きかったため、一緒に連れて行った娘のことを心配しましたが、インドの特徴的なパーカッションの振動に揺れだして、ヒンディで歌いだす人の声になんらかの安らぎを感じ出しました。なれない言葉の詠唱をしばらく聞いていると突然止まったことに驚きましたが、途中でのポーズに全然違和感も感じないような、リズムによくのって音楽が止まって、グルの説教が始まりました。

グルの説教は最初から、父親であることについて、様々なストーリーを中心にした家族にとっての父の存在や、父としての役割を考えさせるような話に集中しました。友人は説教が30分で終わるようなことを言っていましたので、その時間を過ぎてきてから、私は引越しの準備などの仕事が家で待っていることが心に浮かび、すこし集中しにくくなりました。しかし、それでも思い出に残るような話が多かったです。以前、聞いたことがあるストーリーは多かったですが、話のもって行き方やちょっとした言い回しの違いで新鮮に聞こえて、こころまで響きます。

まずは、金箔の紙を破る娘さんの話からでした。娘は、お父さんが大事にとっておいていた金箔の紙を破ってしまいまして、娘がお父さんにとことんに怒られます。しばらくしてから、娘はその金箔の紙で作った箱をお父さんに持っていてプレゼントします。お父さんがその箱を開けると、中が空っぽだということに気づいて、空っぽの箱をプレゼントする娘に腹が立って、怒りに落ちてしまいます。娘は謝りにもう一度お父さんのところに戻りました。なんで空っぽの箱をプレゼントしたかとの質問に対して、彼女はお父さんに空っぽではないと答えます。”パパ、この箱は私からのパパへのチュウと愛で一杯でしょう。パパ、見えるでしょう。”と答えると、お父さんが涙を零してしまいます。

私はせっかちな性格を持っている欠点を見直すよい機会になりました。引越しの準備などで、家庭内はテンションが高くなっていることに少し注意して、家では気を静めるようにしたいという気持ちになりました。

最後の方は、1時間も時間オーバーして、かなりあせってきました。最後の話は、仏が最初に老いや苦難を経験する話でしたが、よく知っているつもりの話でもあったので、早く終わってくれないかとの”せっかち”な気持ちを抑えようと頑張っていました。家の地下に物者がまだまだなくなっていない状態が目に浮かびながら、グルが仏教でもっとも重視する「無の心」(物や人に愛着を持たない話、DETACHMENT)の話に入りました。なかなか無くならない家の中の物のことを考えながら、あの人にそれを譲ろうなどと、物の整理のことを気にしている気持ちが一気にすっきりして、”もういいでしょう、ものを全部GOODWILLへ持っていこう”と決心がつきました。もったいない文化で育った私にとっての必要な知恵、助言は、私が若いころ通っていたカトリック教会ではなくて、初めて行ったヒンズー教の神社で承ることができたという、ちょっと不思議な父の日でした。

TPRC Paper Presentation

September 15th, 2005

I am very pleased to be speaking at the The 33rd Research Conference on Communication, Information and Internet Policy (http://www.tprc.org/TPRC05/2005.htm) next week. I’ll be presenting my paper The “Ham And SDR Sandwich”: Innovation and Enforcement Issues for Free and Open-Source Software on Software-Defined Radio Devices. http://web.si.umich.edu/tprc/papers/2005/480/SDR-HAM-JamesMiller.pdf

I was so happy to have worked on the Software Radio (SDR) and Cognitive Radio issues at the FCC. It was a surreal opportunity to mix my interests in legal theory and Artificial Intelligence, not to mention embedded computing systems and wireless technology.

I’m pretty happy with how the paper turned out except I wasn’t able to be as free with my thinking as I’d liked. I’m working on another article (the continuing saga..) that discusses the role of software and the ability to model rules/standards to extend the current regulatory structure of wireless to be more flexible and enforceable at the same time. If you’re interested in reading drafts, drop me a line. I’ll be posting the draft soon on the website.

First Day as a Japanese Bureacrat..

September 6th, 2005

My first day as a Mansfield Fellow at my first placement–the Ministry of Communication of Japan. There are obvious things like, 50 people working in a small room at desks crammed next to each other, that should make me feel dramatic differences between the FCC and MIC.

However, I am surprised that nothing seemed all that different. Alot of people working together on subjects that maybe one in ten family members have a chance of understanding the immediate significance of. [yes I like dangling participles..] A room full of nerd lawyers, engineers, and economists can only support a certain limited set of new conversations I suppose..

I’m really looking forward to this year. I’ve been in Japan for two months and it’s already been a total blast.

Catastrophic Data Failure…

September 6th, 2005

Ok, I’m not happy. I finished my first day of work at the Ministry of Communications of Japan–my first day of work in Japan on my Mansfield Fellowship, and sat down to write a nice English blog… for everyone complaining about the headache inducing Japanese articles… Only to find the entire /public_html directory containing all my web content had disappeared..

Earlier this year, I broke down and moved the website to a hosting company when my “broadband” connection became increasingly flaky.

Now the hosting company has a catastrophic data failure.. with no backups.. and I’m still unpacking. Arg..

Well, it was a good time to clean house at nihonlinks.com anyway..

10年、一昔前

August 3rd, 2005

平成5年から9年までの4年間、私は金沢で仕事をする機会に恵まれた。公私において充実した毎日で、自分が成長したという認識を得られたこともあり、次の人生に踏み出すために、私はしぶしぶ金沢を離れた。8年前のことである。

アメリカ帰国直後、サンフランシスコに居をかまえ、インターネットの「高度成長時代」を体験。技術的知識をふんだんに学んだが、ビジネスや政治、さらに技術産業を統制する「ロー(法律)」というものに目を奪われた。そこで法科大学院(ロースクール)に入り、弁護士資格を収得し、連邦政府の公務員の仕事に就いた。そして今年、政府の派遣で一年間日本の中央政府で研修を受けるために、8年ぶりに日本へやってきた。霞ヶ関に着任する前に、金沢で6週間の研修もあるため、「第二故郷」の金沢への里帰りできた。

「8年ぶりの金沢っていかがですか」とよく訊かれるが、なかなか一言で表現しずらい。答え始めると、8年前の自分自身を思い出しながらこれまでの道を振り返り、「人生とは」という硬い話になりがちだ。

8年前と比べて、金沢は風景が多少変わったが、古き良き金沢に変わりはない。幸いにも大きな地震や大火などの自然災害を何百年も被ることなく、第二次大戦の空襲も回避した金沢は、武家屋敷や寺町、兼六園がそのままの姿で残存している。確かに金沢西駅の近くには、県庁などと、高層ビルがたくさんできてきて立派になった。その半面、金沢西高校がむかしポツンと田んぼに囲まれていたような風景が失せ、すこし寂しい気持ちにもなる。郊外に商業店が増えて便利になっている中、小さすぎも大きすぎもしない金沢が今後、どういう町に育っていくのか眺めていきたいと思ってもいる。

8年前の滞在のとき、県の仕事で県内のいたるところへ行く機会に恵まれ、石川県の魅力をふんだんに満喫した。しかし今回、昔、目が通わなかったところに新しい発見をした。通勤に使っていた道を自転車でゆきながら、わき道をチラッとみると、初めての風景がそこにあったりするのだ。

過去8年で、金沢が変わったというより自身が変わったということの方が多い。普通であれば、生活水準や性格に大きく変化があるだろう。私の場合は、二人の子供が生まれ、彼らの喜んでいる顔を見る幸せを覚えた。スキルをレベルアップしたことで政治・経済ついてはもちろん、世界を見る目も変わった。日本文化を見る目も少し変わってきた。

私は昔から、日本文化に強い関心を抱いていた。バスケットボールや野球をテレビで観るより、能楽の謡と仕舞の稽古、琴の稽古を好む方だった。

12年前、すでに謡本を読んでいたが、今になって本当の意味が少しずつ理解できていると思う。私は能楽が日本の審美論、歴史、仏教などの様々な古典文化を織り込んでいる点が、たまらなく好きだ。深く理解しはじめると、観賞しているときに必ず新しいものにふれることがある。能を取り巻く知識がかなり問われることもある。しかし、その知識によって、以前よりも興味深く感じることになっていると最近、痛感している。

以前、県の仕事していたとき、県主催の日本文化日本語研修で来ていた留学生に陶芸、茶道などの体験させるため、同行したことがある。しかし、自分では一度も体験したことがなかった。今回、以前指をくわえて眺めているだけで、ずっと体験したかった茶碗作りができた。そこで有名な陶芸家の先生に、茶碗の審美論について丁寧に語って頂いた。武士が嗜んだ茶道、さらに茶碗の形状の違いで飲み方も違ってしまうといった奥の深さ、茶碗をみる喜びなども教えて頂いた。今回、茶道を初めて体験してみて、先生が口にされた「武士の茶」という言葉が頭に残った。さらに、偶然にもそこで飲んだのが「武士の茶」というお茶だった。やはり武士といえば、どこへ行っても一曲謡を歌わないで帰ることがない人たちであったはずで、能楽マニアックの私は「武士の茶」と妙な関連があるように思えてならない。

それで思い当たったのが「お茶時」という儀式である。お茶を飲んだ武士が、「肴」の代わりに謡を一曲歌ったということだ。もし私が昔から謡の稽古をしたことが無く、茶碗について多少の知識もなかったならば、その話はまったく面白いと感じなかっただろう。

そこで、人生のコツをひとつつかめたような気がする。なぜ人口2千5百人しかいないようなアメリカの片田舎からでてきた者が、石川県でこういう貴重な経験をしているのか。東京の霞ヶ関で一年間日本の中央政府で研修することができるのか。それは一つひとつのチャンスを見逃さないで、小さな知恵を重ねて活かそうという心得が多少なりともあったからだと思う。

最近、「semanticweb」という情報処理用語がインターネットで流行っている。知識や経験というのは連結してこそ、累積してこそ濃くなるという意味である。

人生で言えば、昔の自分があってこそ、今の自分がある。簡単なことである。決まり文句かもしれないが、知識を身に付けることは、人生を楽しむためのものに違いない。いや、道具であり、言葉は特にそうだろう。

言葉をマスターするのは、どれだけ難しいか、日本で英会話の勉強で頑張っている方であればわかるはずだ。しかし、言語は道具に過ぎないとも言える。自分の目的に見合った使い方さえできていれば良いようにも思える。例えば、一本の木を植えるには穴を掘らなければいけないが、だれも「スコップを上手に使えるようになりたい!」と努力などしない。どんなにシャベルの使い方が上手になっても、その目的は穴を掘ることにしか過ぎないからだ。

しかし、この例を選んでしまったことでさえは、私がまだまだ未熟なものだと表している。日本3名園の一つである兼六園で、何百年に亘って貴重な役務を果たしてきた植木の職人さんにとってみれば、木がよく育つには、穴を掘ることまで、コツがあるという。さらに、昔植木さんは謡を歌えながら仕事をしていたとも言われている。だから、言葉は道具にしか過ぎないともいえるかも知れないが、やはり、その道具には、手法、日本流で言えば「方」というのもあるに違いない。

言葉は、ひとつ覚えると違う世界が見えるようになると言えるかもしれない。少なくとも、私が始めて18年前、福井で日本語に触れてから、自分の人生がすっかり楽しいものになった。何かめでたい気持ちでさえある。鶴亀か高砂など、一謡いかがなものでしょうか。

Hegel, Plumbing and History

May 24th, 2005

私たちは60年築の古いデュープレックスといわれるタウンハウスに住みだしてから3年もなりますが、今年の夏から日本へ一年在住することになりました。これを機に、家を貸すことにしましたので、最近壊れてきた洗面所のシンクなどを取り替える作業に力をいれています。最初は古くなったシンクのフォーセットと洗面台だけを取り替えようと思っていましたが、表面だけをきれいにするだけで終わるようなプロジェクトではありませんでした。表面を直すには、かなり深く掘り下げなければならなかったのです。

洗面所に入ると狭いところではありますが、40年代のクラシックの雰囲気があります。その雰囲気を壊さずに洗面台とそのフォーセットだけを取り替えようと思いました。洗面台には、50年以上の形跡がいろいろと立つようになっています。錆って来たところもあれば、長年石鹸をおいた場所がへこんで、きれいな塗り物のようなやや青味をおびた淡灰色になっているところもあります。フォーセットは多少のくせがあっても、まだまだ使えそうで、捨てたらもったいないようなものです。アメリカの鉄工業が生み出した頑丈なこの洗面台は表面の欠陥さえ無視すれば、もう50年でも使えるのではないかと思えるものです。

新しい洗面台とバニティといわれるキャビネットを設置して、配水管と下水管を繋いで水を流してみると、あちらこちらが漏水していることがわかりました。配水管と洗面台の間を繋ぐ安全弁は、鉄鋼製のものではなく、安い金ので洗面台表面ほど長年耐えることができないようです。安全弁ほど頑丈なものが必要なものはないと思います。

安全弁が壊れていることがわかり、取り付けたバニティと洗面台を全部外しました。安全弁を取り外そうとしたら、壁の奥まで繋がっていくパイプも壊れていることがわかりました。この壁の前に座って、暗い壁の中へ入っていくパイプを見ながら、一瞬、どんな怖いものが壁の中に隠れているかを思いました。でも、徹底的に直そうと決心しました。ホームセンターへまた足を運んで、あらゆる必要な部品を揃えました。壊れたパイプを外して、新しいものを付けましたが、作業はそれでも終わりませんでした。下水管は奥深くまで同じパイプがずっと繋がっているため、きれいに直せるパイプもあれば、やはりどうにもならないプもありました。下水管は、パイプの端のところが錆っていて、ほかのパイプときれいに接続することができませんでした。そこで、古いものと新しいものをどう続接しようかということで、頭を大分悩ませました。

結果的にはきれいに接続することをあきらめました。なるべく、錆びているところを避けて、何とか水が流れるように繋ぎました。この完璧主義者にとっては、これでよしというところがなく、納得するのが苦痛でしたが、そうしなかったら家の生活は止まったままになります。掘り下げればきれいに解決できる問題もあれば、完全に家を建て直さないかぎりは解決できないものもあります。

このことを通して私は考えました。現在、日中、日韓で緊迫する反日感情が、日中、日韓の間の歴史認識の違いが原因でいつまでも収まらないことに似通ったところがありました。日中・日韓の現在の関係が円滑に流れないまま放っておくわけには行きません。暗い壁の中に真剣に臨んで、解決できるものだけでもを解決して、今後は、錆びっている荒々しいところに触れなくても円滑な交流が行えるようにする方法が、探ればあるのではないでしょうか。

自らの信条、更にいえば自らの文化で生きて行く決心があってこそ、国際人だと思う。

April 16th, 2005

初めて社会に出て仕事をする際において、自分自身について知ることが多いのはいうまでもないことです。大学生が「一度、勤めてみないと敬語の使い方は覚えないですよ」等とよくいわれることがあります。それに、日本文化の特徴を表す慣習でさえ、職場でしか経験できないものもあるかと思われます。しかし、日本人らしいと言われる目上の方に対する気遣い、遠慮する傾向や、職場の外部の人と内部の人との接し方も換える等の習慣に付き従わなければ日本人じゃいない、というわけでもない。私は帰国子女の友人や知人からもいわれますが、知識としてあっても、実際、納得できないこともあります。

自分の短所と長所を自覚することと同様に、一個人としてどういう信条を守って行きたいかを再確認することは、社会人としての最も重要なレッスンです。私はアメリカと日本の間で17年も生きて来ました。自らの信条を作り上げていくプロセスの中で、当然日本文化からたくさんのものを取り入れてきました。しかし、日本文化のすべてを受け入れたわけではありません。日本文化とアメリカ文化両方の魅力的な点とそうではない点を見極めて、自分の中に取り入れたい要素と余り取り入れたくない要素に振り分けてきました。そのようにして築いた自らの信条、更にいえば自らの文化で生きて行く決心があってこそ、国際人だと思います。

国籍を問わずに、日本で国際人として勤めようと思うと、様々な問題点が浮上すると考えます。私は国際人が一番苦労するところまたは国際化社会の実現に大きく障害となる点は日本文化の特徴の一つといわれる本音と建前のことだと考えます。和を保つことまたは人の面子に注意を払うのは日本社会で最も重要とされる上、英語でいわれる「ホワイトライ」(直訳:白い嘘、罪のない嘘)は重要な役割を果たします。「建前」を「嘘」と英訳してはあまりに素朴ですが、日本では理由付けの多い人又理屈ぽい人が嫌われることに大きな矛盾があるのでは。つまり建前というものは、そもそも本音を言わずに、理由付で闘争を片付ける一つの社会手段ではないか。決して、建前は闘争解決措置だけではありません。それは日本社会の封建的な体質を表しているのに違いないでしょう。問題の本質を明確にした上で双方の意見を合理的に論じ得ないものは、現代の国際社会でも成功できないと言う意見が最近、司法改革などでも指摘されています。合理的でグローバルな社会になろうと力を尽くしている国にとっては、これは重要な課題でしょう。

私は現にこの建前と国際社会の矛盾で苦労した例があるが、人生に大きな影響を与えた例があります。日本では、雇用条件また仕事内容を明確にしないケースが多いと思います。一定の労働力及び職業能力よりも人の人間性を見て、労働者を雇うことが決して珍しくないです。私はそうして雇われた経験もあります。経営者のビジョンと言われる多少曖昧であるが経営目的を聞いて、それを具体的な経営事業で実現する仕事はまさにエクサイティングでしょう。しかし、日本の建前社会ではいかにも難しいことでしょう。

こう言った状況で成功するには努力の上に多くのコミュニケーションが必要です。どちらがかけても難しくなります。従来ならば、ノミュニケーション(飲みながら会話を交わすこと)等などの人間関係手段は意見交換に効果がありましたが、不景気ということもあって、そういう手段が減って来たと見られます。私でも、経営者が形だけのつもりで語った内容を本気にとって、過去にいろいろと難しいこともありました。こいう期待不一致や外国人雇われの従業員に実質的なポストのないいわれる「飾り外人」というものは建前構造がその根拠になっているのでは。企業の国際化に対する期待に応じえない結果になり、日本で国際人として働くには一番難しく感じる所ではないでしょうか。