NihonLinks News from James Miller

Techlaw Insights in Japanese and English from James Miller

道州制が日本を変えるか、米国の連邦制と比較して

ミラー・ジェームス

マンスフィールドフェロー

2006年5月19日にアメリカ人にとって最も面白いと思われる法案が国会に提出された。その名は「道州制特別区域における広域行政の推進に関する法律」(道州制法案)である。昨今、日本は、国内総生産(GDP)の1.5倍を上回る国家財政赤字、地域経済の伸び悩み、中国経済が優勢に見えてくる懸念、少子高齢化などの問題に直面しており、危機に遭遇しているといわれている。これに対し、政府は、行政改革、財政改革(等々)の構造改革を積極的に進めてきた。改革の観点および内容はそれぞれだが、「官から民へ」、「中央から地方へ」、「小さな政府」などの基礎的概念が共通していることは、際だっている。今回、道州制法案は、「権限の委譲」と「道州制特別区域」の二つの骨太の方針で「新しい政府像」を描く目的を論定している。道州制の議論は、小泉政権の構造改革の具体策とその理念を実現させる国の仕組みでもあり、その本質を表す“イデオロギー”だと言える。言い方を変えれば、国家体制・組織を描く「国の形」とそれを支える「国のポリシー」という理念的な論拠がそれぞれあり、道州制に沿って描かれる「新しい政府像」は、アメリカ人が身近に感じられる「連邦制度」と「連邦主義」の日本版のように思えるともいえるだろう。アメリカ合衆国憲法による連邦制は、数百年に亘り、中央と地方の権限配分のバランスを微調整してきたことから、日本の道州制による「新しい政府像」を描く際に、参考になる知恵が多いと思われる。今回、第164回国会は、6月18日に閉幕し、道州制法案は継続審議となり、この議論が続くものとなった。よって、今後の論議に向け、ここでは、連邦制の「国の形」と「国のポリシー」のバランスについて、司法制度、経済政策、公務員制度などの日米比較を通じて主な要旨をまとめる。

連邦制と道州制比較をさせる基礎的な用語の定義、「ガバメント」とは

道州制の議論においての一番重要な言葉「ガバメント」は、英語と日本語の意味が大きくずれており、それが象徴的な意味合いを持つと痛感している。予め、議論に入る前に、言葉の定義から始める。英語では、官における国家、行政、統治、政治の作用は「government」(ガバメント)と表現することが多い。ガバメントという表現は連邦・州・市町村、三権分立において司法・行政・立法府などで峻別がなく、民に対する官という意味で使われる。

ガバメントのやるべき仕事とは、国々または時代の変遷に伴って変わっていくものである。昔、ある論点では、絶対行政管理が必要だ、または国が介入すべきではないと思われていた常識があったとしても、意外と今となっておかしいと思われるようになった論点がある。規制の範囲やあり方についての常識はグローバル経済や情報化時代になってこそ、この変化が激しくなってきているともいえるであろう。

よって、根本に戻って、国民および社会がガバメントに何を期待し、どんなニーズがあるかという観点から、ガバメントのあり方を考えるべきである。ニーズがあってこそ行政作用があるということが、大前提にあるべきである。ニーズの変動を巡って、そのニーズが変わっても対応しないガバメントは、公益のためになっていないということがいえるであろう。社会のニーズが今後ますます流動的になると思われるため、国レベルでやる裁量、地方における裁量、官から民へと巡る規制緩和についても、ガバメントの政策審議過程及び施行などの職務は、以前よりも柔軟性・流動性が必要になってきていると思われる。

そこで、ガバメントはどんな仕事をするかという審議、つまり政策の内容や管理規制のあり方については、一層重要になり、ガバメントでその仕事をだれがやれば良いのかは道州制における議論の一番肝心なところだと私は思う。言い方を変えれば、今、流行っている「ヒト・モノ・カネ」のヒトとモノの議論に当たる内容である。

アメリカの連邦制から見て、この二つの論点はどう見なされるかというのが、道州制の議論にとって役に立つ話しかと思う。後述のように、アメリカ合衆国は、連邦制の下で政策の審議プロセスが連邦および州における三権分立に基づいた経路で行われる。行政が厳しく規制している内容は10年も経てば、規制緩和されて、またその後、まったく新しい中央と地方の規制のバランスになることがある。その一例は環境政策であろう。1960年代までは環境政策は州法の裁量となっており、市民運動などの勢いに伴ってその後、内容が連邦化し、80年代のレーガン政権の規制緩和の潮流から今現在は連邦と地方の間では、権限が政策内容により微妙に均衡が取れていると言われている。昨今、「Environmental Federalism」という表現も学術論文などに出てくるようになり、環境政策では、連邦と地方のそれぞれの役割についての議論は45年にわたってきた政策の成果などの評価を勘案してテーマにされている論点でもある。

結論的に言えば、ガバメントいうアメリカの連邦制の観点から考える政策課題は、まず、国と地方の権限分配の前に、官でやるべき仕事かを先に考える。そこでやはり公益に係わることであることや社会的弊害を防ぐ、ガバメントの仕事があると認めれば、課題の重要性やニーズに従って、身近な市町村から州へ、州から国レベルへと議論が進んでいくというプロセスは、頻繁に例が見られるものである。民間のままの領域で良いかという議論はまずあるが、そこの判断はここでは「国のポリシー」と表現している。そこから進む議論で、ガバメントのどのレベルで、どのようなやり方で介入するかというようなガバメントの議論はここでは「国の形」と表現している。この何れの2点に関しても、連邦制の下で行われると、社会変動が激しくても強い、流動的でフレキシブルな政策策定の過程を極めるというメリットがあると言える。

アメリカ合衆国憲法による連邦制と道州制の国家体制の比較

アメリカ合衆国という国は、一度憲法改正によって、国家体制を変えている。最初、連合国で始まった国から連邦制度に変わった要因は、細かく分析すると様々であるが、大まかに言うなら、「国の形」といった国家体制が当時のニーズに答えられなかったことである。日本では、幕藩体制の下で数百年に亘って国家安定を保っていた日本国が、欧米列強の植民地化の恐れに臨んで、当時の国家体制では革新できなかったものが、明治維新によってできたことは、「国の形」が不十分だったからとも言えることであろう。「マーケットフェルヤー」(市場の不成立・失敗)という表現が経済論においてよく使われる表現である。市場の体制に、根本的な欠点があり、構造的な介入なくしては市場がなりたないという意味である。同じように、国家体制が国のニーズに応えられず弊害が生じる場合のことを「ガバメントフェルヤー」ともいえるであろう。アメリカの初期に危機に遭遇した頃をよく表すものである。国家全体の構造を統治する体制は、様々な社会現象に対応でき、または変革にも応じ得る力があってこそ隆盛を極める。アメリカ合衆国による連邦制は、産業革命時代から情報化時代を生み出した「国の形」として評価されるものである。

連邦制度のあり方を理解するには、アメリカ合衆国が、短い225年の歴史で、内乱戦争や憲法改正などと様々な危機に遭遇し、もともと危機に遭遇して1776年に独立宣言し、厳しいx年間に亘った戦争で独立国家となった沿革も知ることが重要である。戦争を起こすことに至った経緯を振り返ると、アメリカの13州は、当事のUK連合王国の植民地としての位置づけが不明確であり、様々な憲法上などの法的・政治的な問題があった。不十分な国家体制に臨んたアメリカ13州は、地方自治と国レベルにおけるパワーバランスの問題が解決できなかったところに戦争の要因があると思われる。当時、保守派と言われたTORY党の有識者は、新天地を開拓したことによって、様々な地方自治の改革や憲法改正を英国議会に求めても失敗したことを受け、戦争を起こして仮に勝ったにしろ、地方自治を位置づける議論が残ることを予言的に言及した。独立戦争に勝った、13州は、財政、地域経済や法で位置づける市民の権利についての自治のニーズには応えられなかったUK連合王国の植民地という立場から、連合国を結成する州に替わり、失敗を繰り返すことになってしまう。各州は、外交と貿易政策、貨幣経済の基盤となる貨幣の貨幣制度、などがばらばらで、連合成立で得られるはずのメリットを確保できず、連邦制の議論に繋がった。

結論としては、社会の変遷に臨んで、アメリカ合衆国憲法による連邦制は、政策の流動性を保ちながら、それぞれの中央集権と地方自治の均衡をとれるものだとして、産業革命時代の変遷から現在の情報化革命時代にも十分社会のニーズと要望に応えられるメリットがあると言えることであろう。

議論のながれ

1. 中央と地方の権限配分のバランスを描く「アメリカ合衆国憲法による連邦制」
1. アメリカ合衆国の連合国から連邦制への沿革(Government Failure)の課題
2. 地方を拠点にする経済と司法制度
1. “小さな政府”・規制緩和・行政法と民法などの関連性
3. 国家の革新的な“実験室“ - 米最高裁判所判事Louis Brandeis氏の名句
1. 「連邦制において、有益だと思われる一つ重要な利点は、国家全体がリスクを冒すことなく、州民の自律性の下に、勇気がある唯一の一州さえあれば、国民にとって有意義な社会的構造や経済的な制度の政策に取り組み、国家の革新的な“実験室“がある。」 New State Ice Co. v. Liebmann, 285 U.S. 262, 311, (1932) (Brandeis, J., dissenting).
2. 「国の形」と「国のポリシー」の連邦制の国家体制と連邦主義の主義思考の違い
1. 連邦制は国家体制の一例として極めて柔軟な体制だと重視し、激変している日本社会にとって新しい政府像を描く際に参考するメリットがある。しかし、形で終わってしまうこともあり、”連邦主義”を参考に、道州制を行革の法的・政治的方針、”道州主義”も作り出すべきと思われる。
2. DualからCooperative Federalismへの連邦制強化
3. 大恐慌と”New Deal”政策の連邦化に対する”Federalist”の反響
4. ミニマムスタンダードの主権のバランス
1. 電波管理の事例
2. 環境の事例
3. 労働基準の事例
3. 道州制論議の経緯と心理
1. 長い年月にわたる歴史と文化的背景
2. 道州制とFederalismの共通点
4. 道州制法案の概要と今後の争点
1. 「ヒト・モノ・カネ」のヒトから考える道州制のメリット
1. 「県庁か教員」という地方での就職の通説
2. 大きな政府が地方経済を抑制しているマーケットチャンス
3. 東京に取られてしまった地方出身の公務員のU-TURN策
4. 少子高齢化
5. 弱いもの同士の合併から地方自治の自立
2. カネ・権限の地方分権なくしては、地域性を生かした経済があるか?
1. 地方行政の投資誘致競争
2. 財源のノウハウ
3. 法律家・金融エクスパート
1. 弁護士資格の“2種“制度と地方司法制度
2. リレーションシップバンキング
3. 難しい選択こそ地域で決めるべきか
1. 社会面(教育、労働、家庭、人権)
2. 経済面(税制、規制緩和)
4. “Minimum Standard”を引く線が一番の難問
1. 連合制 <ー> 連邦制 <ー> 単一政制
2. 社会面・経済面

I presented this last year for a talk and came across it on my laptop. Enjoy..

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メディア企業の合併・買収を巡る期待と懸念

果たして、ライブドアはブロードバンドを活かし、AOL Time-Warnerの失敗を避けられるか

今のライブドアのニッポン放送敵対買収を、AOL-Time Warner合併の日本版だと見なしている方が多いが、際立った違いがさまざまある。旧来、映画制作の会社は陸上、衛星、有線テレビ会社とさまざまな企業 構成を使って、協力的な事業も進めてきた。しかし、そのあらゆる提携事業の根底には、相手の新技術を利用して顧客と新規なルートでコンテンツを提供すると いうところにビジネスチャンスがあった。
新技術が広まって顧客の加入・利用が増えてコンテンツが盛大に普及した場合は、提携事業がう まくいくと言える。最近公開された情報でAOLの改名や経営陣の降格から、AOLーTW社の経営陣は、この合併がうまく行かなかったと反省していることが わかる。そこにはいくつか原因があると思われるが、幸いにライブドアのニッポン放送との合併の場合はこれと違うとも考えられる。
当時、何よりもAOL社の長所として掲げられていたのは、新技術だったインターネットの顧客加入数とビジネスモデルであった。しかし、当時のインターネット の基盤技術といえば今の通常になりつつあるブロードバンドではなく、低速度通信技術の電話回線による接続、いわゆるダイルアップ接続だった。進んだ現在の ソフト圧縮を利用しても、ダイルアップ接続で映画などの動画画像の鑑賞には無理がある。
AOL加入者の接続は、今もままほとんどがダ イルアップ接続のままだし、合併の潜在価値がいまだに発揮できないままだと思われる。アメリカでのブロードバンド普及の失敗は、行政の対応に問題があった か、市場判断の通りに動いたかどうかという難問がある。いずれにしても日本のブロードバンドの普及は盛んであって、ライブドア・ニッポン放送の融合によい 影響を及ぼすに違いないであろう。

ライブドアによる予期せぬ敵対的買収成功例から学べる点

80年代に日本が世界第二の経済大国といわれるようになってから、アメリカでは、日本企業の特徴的な経営方法が話題にされている。日本企業の経営方法とは、株式の短期的な増配(配当率、分配金などの増加)などより会社の将来性に貢献する投資や作戦に優先することや、厳格な契約関係に頼らずに長期的な共存共栄を狙い、深い協力をもたらすパートナーとビジネス関係を組む傾向があることなどと言われている。日本のバブル経済の崩壊が始まった80年代の後半から10年以上続いて来た不況を巡って、日本的経営に関する批判的な意見も強まって来ている。「日本的経営方法は、経営方法として失格だ」などと言う言葉も聞こえるようになって来た。しかし、今の不景気から抜け出そうとしている企業は、日本的経営の独特な特徴を生かしながら、グローバルな経済でも成功できるように今まで日本の経営では必要としなかったところも学んでいる。

アメリカの経営者は、日本の経営者が著しく異なった観点から企業経営を導いていることが、ライブドア社のニッポン放送買収を例にとってもわかる。たとえ、どんなMBA(経営学修士)やJD(法科大学院)の大学院生でも、ビジネスロー(会社法、証券法などの法律)入門をとる際に敵対的企業買収対策などを勉強するはずである。しかし、日本の大企業というべきフジサンケイグループの経営陣は、「巧詐は拙誠に如かず」といいながら、拙速な司法対策などで拙守し、教科書通りの買収作戦にやられてしまったことがわかる。海外輸出などで国際化している日本企業を除いて、ほとんどの企業は十分な敵対的企業買収対策を整っていないといわれている。

もちろん、企業買収合併の環境が著しく激しいアメリカでは、買収対策が頻度や確立から考えると当然重視される。しかし、今までの日本の企業経営には、合併・買収が特に問題になかった。通常、アメリカでは、会社が資金調達するためには新株の発行などの増資を行って資本金を増やすが、従来、日本企業の負債金融は、アメリカなら一般的とみられる自己資本調達によって得られる場合より、系列の個人銀行からの融資によって資本を集める場合が多かったと思われる。よって、日本の企業経営はアメリカの株式公開会社での経営ほど、自己資本調達についての知識が問われなかった。

しかし、一方、今の日本企業経営の事情が変わって来たと言うことがあっても、それでも経営とは資本調整・調達だけでは成り立たないということもある。アメリカの経営陣らは、日本の車、家電、半導体などの製造業界からは、優れた品質の商品を作る方法など多くを学び真似ができたからこそ、アメリカが不景気から抜け出せたとも言えるであろう。もちろん企業の厳しい再編成(リストラ)が必要な場合もあるが、それだけでは成功しない例が多いはずである。日本では、多くの経営者や評論家がライブドアの買収作戦を「汚いやりかた」「不公平な取引」などと批判して、ライブドアの堀江社長が経営者として失格だと厳しい意見を抱いているのはおそらくこの「経営はマネだけじゃない」というところからきていると思われる。

今後のメディア企業にかぎることではないが、これからの企業経営を成功するには、企業の本質を考慮した経営作戦が必要だと思われる。その作戦をつくり出すには、従来のやり方も将来の可能性を把握した経営が必要である。少なくてもライブドアの場合は、従来の報道企業と今後のインターネットメディアが融合して、どういうメディア企業の経営が成功できるかという難問を解く負担の過重に苦しんでいくことであろう。

今後の展望

経済学者のマーク・ポーラット (Mark Porat) 氏が1977年にはじめて「情報経済」 (Information Economy) という新造語を造り出してからは、まさに社会ともいうべき、情報化時代になってきた。ポーラットの最初の論文では、1960年代のから進み出した労働の動向について調べた結果、1960年代の初期から1966年までに米の労働者の47%が「jobs in information」という情報を扱う仕事に推移したことがわかった。労働者の半分が情報関係の仕事していることに伴って、総合生産率もそれを反映していることもわかった。

メディアの企業といえばまさに情報関係の業界だが、1980年代になってきてからもう一つの大きな業界動向が見えるようになって来た。トマス・シャッツ(Thomas Shatz)氏は米ホリウッド映画製作企業の外国での映画放映による利益が1980年半ば頃までに全利益の15%にしか過ぎなかったことから、1995年になって外国による映画放映利益が同じ国内による利益を上回る傾向があることから国際化してきたメディア企業に「New Hollywood」(ニューホリウッド)と名付けた。

例をあげると、DisneyとTime-Warnerの1990年の外国で得られる利益が全利益の15%にしか過ぎなく、1997年までにはその値が30〜35%に増加していることがわかる。ロバート・マックチェスニ(Robert W McChesney)氏はこれらの傾向からこれからのメディア企業の形態に「global commercial media system」(グローバル化したメディア商業組織)と名をつけて、警戒していることもある。

今、日本では、企業合併・買収はこれから激増すると考えられている。しかし、メディア企業においてはそれだけのことではなく、これからは上記で話した、情報経済が生み出した global commercial media systemの動向もやってくるでしょう。日本独自のメディアはこの環境で成功するには、ニューホリウッドに代替できる「new japan media」を創り出さなければ行けないのではないか。アメリカの例をみると、そういうメディア企業を実現するには、企業合併・買収も必要であるかと思われる。果してどうなるか、楽しみにしている。

米政府の連邦通信委員会(FCC)では、2002年に電波監理への新しい取り組み方についてのタスクフォースがパウエル前委員長により設立されて以来、様々な経済学的及び法学、または技術的な観点からみた電波監理についての取り組みが立案され開始されてきている。同じく、日本では、2001年のe-Japan戦略または2004年のu-Japan“戦略“から発進したユビキタスネットやブロードバンド対策について取り組みを進める動きが見られる。このように両国で電波監理の規制改革が進められている中で、最近重要な技術として浮上がり、そのタスクフォースにおいて検討されてきた最先端の新技術がある。それはソフトウェア無線(Software Defined Radio、以下SDR){別紙の説明を参考ーf1-}iで処理される人工知能の力を持つコグニティブラジオテクノロジ(以下、CRまたはコグニティブ無線)である。このテクノロジーを活用することにより、情報社会にとって最も重要となってきた無線電波という資源が、より多くの利用者に活用され、より有効的かつ混信を生じことなく利用できるようになると言われている。
ここでは、CRについての基本的な技術内容、行政での対応、さらには今後の電波管理への影響についてのべるが、まず、アメリカにおいて無線電波という物理的な天然資源を位置付ける「電波監理」の規制緩和の概念、その取り組みの(何年)の成果、及びCRがその多くを実現しつつあると考えられている要因について説明する。
「アメリカで見る電波という天然資源を規制する『電波管理』」
情報社会を支える現代社会の情報産業、とりわけ通信にとって、最も重要な天然資源と見なされてるようになったものは、無線電波の電磁波である。アメリカでは、電波は、1934年以後は、自由な共有財産または私有財産とみなすことなく、公益を害することがないよう行政で利用を規制する必要があるとしてきた。しかし、情報社会の進歩に伴い激増する電波に対する需要と電波の社会的重要性を勘案して、1934年に連邦法律である通信法によって、米国では、電波という資源は、国家の連邦通信委員会(FCC)と国立情報通信局(NTIA)で監理する天然資源位置付けそれ以来、米連邦政府が抜本的に新たな電波監理を探ることとしている。FCCでは、パウエル前委員長によって設立されたSpectrum Policy Task Force(以下SPTF)が顕著な動きとも言えるが、NTIAでも今年大統領から命令を受け、FCCのSPTFの同様で、根本的な観点に戻って、電波を法律論、経済論などのあらゆる観点から、電波をどう規制すべきかについて行政内外に問いかけている。(NTIAでは電波の有効利用などの実行プランの策定について、2005年11月30日の締め切りとされており、まさにホットトピックスであろう。)
FCCの利用制度では、電波を私有財産または共有財産と考える両方の制度がある。FCCの免許制度(ライセンス系ともいわれる)ならでは、特定周波数で一利用者だけに認められる利用、いわゆる排他的な利用(exclusive right)というものがあり、その権利を取得するために、競売で免許権利を”買う”という方法がよくとられる。ライセンスを勝ち取った者は、他の所有権と同じように、他の者をその免許の所在地(多くの場合は一定の周波数を指す)から排除する法律上の権利を持てるようになる。当然、通信法上では”電波”を所有することは硬く禁じられているので、英米の法理学においては、W. N. ホーフェルド (Wesley Newcomb Hohfeld)などの学説による法的関係の分析では、完全な自由たる権利にはならない”bundle of rights”という制約付き及び分類化された権利制度もある。電波という資源を利用するための許可は、取得者にとって重要な経済的価値がある場合が多く、最近のメディア集中排除の問題の要因となっている、大手放送免許を所有する企業や携帯通信事業者の合併などをみると際だってわかるはずである。例えば、通信、放送事業者の場合、主な財産となっている資本は、国から利用許可された免許で電波を排他的に利用できることに違いないであろう。よって、経済論に沿った市場原理でみる電波の利用許可は、一種の権利として存在するものだという一つの前提となり、アメリカではその権利をどう定義して取り扱うべきかというのは、電波監理にとって重要な課題となるわけである。まさにSPTFから発展した二次市場によるスペクトラムリース(免許人の第三者への利用一部貸出し権限)やそのほかの市場原理を尊重する政策は、これを基礎概念にしている。
しかし、FCCの電波監理はライセンスによる利用許可だけではなく、共有財産として扱う「コモンズ」という形式の解釈論も重要である。家庭用で使われる電子レンジ、コードレス電話の受話器など、またはアメリカの通信業界の蘇生にもなったと言われる”WiFi”の無線LAN通信は、すべて無線電波を出しているが、その「利用」についての”ライセンス”は不要となる「アンライセンス」、いわゆる免許不要の制度で扱われている。ある一定の周波数の範囲では、低電力の送信であれば大人数の人が同時に電波を利用しても混信は発生しない、という理屈がこの免許不要制度の根本にある。“小さな国を目指す“今日現在の行政にとっての規制緩和の実現性においてみても、新技術が次々に誕生することによってライセンス制にせざるを得ないような自体が次々に減少しているという声も多く、規制緩和が進む中では、免許不要制度のメリットがより一層注目されている。
どちらの制度にも一長一短があるので、極端にどちらかに統一するというのではなく、今後は両方の長所を活かしつつ、積極的に両者を織り交ぜながら、新しい電波管理が統制されることとなるであろう。しかし、どちらの制度においても、新技術、とりわけコグニティブ無線は欠かせない役割になりつつある。
「CRとは具体的にどんな技術を指すのか、どんな政策に関与しているのか」
「許可」なしの利用が認められない電波の世界においてこそ、どのような技術をどのように利用することを認めるかというバランスが重要となる。導入される規制は、技術的な可能性に見合って現実的でなければいけないが、同時に技術の足を引っ張るようなこと、あるいは技術の可能性を活かせないようにすることがあってはならない。FCCのCRについての政策策定は、この均衡を基本として、2003年の規則制定告示(Notice of Proposed Rulemaking、以下NPRM)から2004年報告命令(Report and Order、R&O)へと進んでいる状況である。規則制定告示における政策提案の主な内容は、以下にます五つの質問・提案であった。1また、2004年の報告命令ではSDRのセキュリティや適合証明についての規則改正もあったが、そのほかの二次的市場やルーラル地域における無線インフラ対策など、課題の様々な最新の政策に関与している。
この分野を開拓したジョセフ・ミトラー電子工学博士は特に四つの知能(監視力、指示力、決断力と行動力)でCRを定義付けている2。なお、CRの定義は様々であるが、基本的な定義として「意識」と「推理」する知能を有することが要点だと考えられている3。CRは知能を持つソフトウェアだと定義しても、漠然としたイメージのみで実際の技術の中身を把握することは多少困難だが、CRは電波環境を意識する機能、いわゆる”awareness”、またはその電波環境および実際の利用状況についての情報を活用し最適に電波管理する機能、いわゆる”reasoning”などで電波監理の理想なケースに近づかせる力を持つ技術と見られている。Awarenessとは、様々なところから情報を収集して、その得た情報を分析して知識として記憶することを指す。情報処理の人工知能学の世界ではこのような力は知識管理(Knowledge Management)などの学問分野とされている。また、Reasoningとは、知能学では、命題論理(述語論理)や統計的推理などの行動を計画し実行するような学問分野に当たる。
最近際立っているCR機能の応用した政策としては、地上波テレビ割当周波数において免許不要局による周波数利用を検討する政策がある。この政策では、免許不要の微弱送受信機が場所の意識および電波環境を測定し有効利用を行う演算処理能力がある場合においては、地上波テレビの鑑賞に混信起こさずに共用が可能な地域があり得るのではないかということについて検討している。2004年に規則制定告示が公開されてから、多くの通信メーカや事業者の間では激しい議論が交わされてきているが、まさにこのCRの新技術がなくては可能な話とはならないと思われる。
FCCのほかに、米国連邦政府機関である防衛先端研研究所(DARPA)では、CRを活用して、連邦政府による電波利用の効率性、信頼性などを10倍にまで上達させるということを目標にしているXG(次世代の通信技術)プログラムの振興を図ってる4。また業界では、SDRを積極的に振興させているSDRフォーラムのトレードグループや、モトローラの大企業からVANUという中小企業まで幅広い企業の活躍が見られる。国際面では、ITU(国際電気通信連合)では2007年のWRCに向けて、SDR・CRの今後の世界的な技術基準の統一も議論されている。
以来、日本では、SDRとCRは総務省が2003年12月15日にSDRの基準認証制度について意見募集を発表して以来、ユビキタスネットやブロードバンド政策などの面では真剣に検討している様子がわかる。やはり、電波がグローバルな社会において重視される資源である限り、CRの法規による取り扱いが今後重要な課題として残ることだろう。

さて、ソフト無線とはなんでしょうか。アナログ・ディジタル信号処理とまたは半導体・ASICとFPGA(汎用的な処理装置)の違いを背景にし、ソフトウェア無線は、送受信の論理命令が書き換え可能なRAMにて、波形作成の搬送波作成、情報信号を搬送波に変調、信号処理制御は処理装置で実行します。ハードウェアを改造する必要もなく、周波数、変調方式、振幅作用などを構成して、どんな送受信信号にも応用できて、通信出来るようになります。いわゆる、従来のパソコンと専容器の違いです。
波形を作成・解釈するソフトの部分はアンテナに繋げたA/DとD/Aカードとインターフェイスして、ベースバンド、IF、またRF帯の信号処理はすべて一般の汎用プロセッサーやDSPで行えます。信号処理は書き換え可能になっているため、最新のフィルターを利用したいときでもまたは違う変調方式を実験行いたいときでもソフトの更新・開発によって実現することができます。ソフトのポータビリティ〔プログラムの移植可能性〕を重視して開発していると、信号処理命令は自分の5万円パソコンでも最新型の専用機の処理装置でも同じソフトが実行可能になります。既存品に負けないフィルターのソフトウェア開発ができるし、トランシーバーの内蔵フィルター・チューニング等の機能はソフト制御で設定・調整ができると即時に最適なフィルターを選択してリアルタイムなインタフェア‐対策に役立てるなどで、公共の電波の最適利用にも繋がります。ソフトの更新ができると、現状の必要に応じてフィルターや変調方法を選択や更新によって、今まで出来なかった電波管理でも可能になるでしょう。直接IF帯まで変換できますので、Non-Linearな変調までもできるようになります。可能性は本当に無限になります。ソフト無線はソフト処理に大変柔軟な基盤だというわけです。
※表1:ソフトウェア無線の形態と発展

Having grown up most of my life in Kansas, I have a particular interest in the continuing debates about the teaching of evolution in school. Growing up there I thought of myself as quite liberal. After moving around some more, particularly going to law school in the DC area, I discovered I was a midwestern liberal or perhaps a bipolar conservative. (More on that discussion in another blog.)

My family and I have been living in Tokyo for several months now and there are alot of interesting things to do. We went to the National Science Museum, http://www.kahaku.go.jp, in Ueno recently. The adults of the group were very (pleasantly) surprised to see evolution very clearly described and represented. The exhibits were interesting and well organized to describe the scientific processes involved at various stages of the Earth’s history. The family makes frequent (usually a couple times a month but in the past several times a week) trips to the Smithsonian National Natural History Museum. It’s of note how different the presentation of evolution “feels” recalling the exhibits and then seeing those in Ueno.

This evening again there was a very interesting children’s program on NHK 3 (one of the Japanese national public broadcasting stations) describing theories on early development of life on Earth. The kids found it very interesting. That kind and quality of programming is difficult to find in the U.S.

While anectdotical, I am convinced there is more and more of a program distinguishing religious from either politics or science. As a result the Constitutional separations of church and state are being actively dissolved, and Kansans (such as myself) are prohibited from evolving. Perhaps without the ability to evolve ever higher intelligence I won’t have to worry about any changes in my government structure.

Ahah! Must be natural selection at work again..

The tone of his partner was incredulous. In the seven years that Sam O’Reiley had known Tom, he had never known him to lie, or cheat or steal. Except for the fact of Tom’s incarceration, Sam had no reason to think Tom could commit the slightest act of naughtiness. Sam also had never known Tom to enter a plea of not-guilty on behalf of his clients. In fact, no client Tom had ever represented had ever plead innocent to a crime. Tom had a way of sniffing around the slightest hint of indulgent talk to find the truth of a matter. However, for most of his clients Tom needed nothing more than a cool logical intellect to discern guilt. Knowledge of a client’s guilt would not under most circumstances move an attorney to seemingly throw in the towel and plead for the mercy of the court. Tom had the uncanny ability to get help for clients, in the process of inculpating them. Seemingly iron-clad judges and prosecutors would bend to the generally reasonable demands he would make. To be sure, his clients paid a debt to society, but they often avoided the hell that was life as a repeat offender. He could negotiate psychiatric assistance from prison in exchange for the hardest labor. He could place clients in prisons where race relations would not require clients to sell their soul to the closest gang for protection. He knew the system well. Surely he crawled his way out of his past life by exploiting it.

Not many a convicted rapist can find a law school that will admit him. Nor can a menace to society, even a reformed one, easily find admittance to the practice of law. Tom did however, by exploiting ever kind grace, and sense of higher liberal principle. Of course, his quid pro quo was to be the defense of innocently charged criminal defendants. Things did not quite work out as some had planned. Rather than vigorously defending defendants innocence, he seemed to be interested in proffering only so much reasoned argument prepare for a plea. No doubt plea-bargains were common place but Tom seemed to working for the other side. In the end, his clients were always pleased with the outcome, five-years out (the average sentence). Hard and fast was Tom’s way. The liberal bar didn’t like him. They felt he’d sold them out, or betrayed his convictions. Afterall, here was the man who had ridden the goodwill of many supporters to become famous declaring his innocence and attacking the legitimacy of a criminal justice system that ignored race only so far as it targeted for it.

Tom declared his sanity to Sam. He also claimed to be true to his convictions. He was waiting for the innocent victim to come along–his pyrrhic champion. He would wait no longer.

Sam had shared much with Tom over the seven years he’d known him. When they started out together as young public defenders, the only thing they shared was the same last name. Tom had finished school at a barely accredited state school, after scraping to finish a undergraduate degree from an equally regarded local school.

Sam’s upbringing was quite different. A wealthy suburban kid who did well in school, he enjoyed a seemingly effortless rise to a top law school, well greased by expensive tutors, prep-courses, and the occasional nudge from his influential father. Sam’s love of the law was a matter of breeding. That certainly didn’t limit his ability. He was an impeccable attorney–wasting his talent in his father’s heated opinion. Nevertheless, his only significant fault was he didn’t remember much of his undergraduate studies from all the drinking–a habit not completely shed.

Tom’s exposure to learning was very different. During his eleven years in prison, he had kept himself busy reading everything he could find. It had paid off. In the twelve years since he had left prison, he had risen to become one of the most savvy criminal attorneys in the state. It was only too ironic that twelve years prior to that he stood in a courtroom for his sentencing.

Today was a special day for Tom. He explained the facts of the case to his partner, ignoring the subtle clues of Sam’s other interest in Tom. Tom sold a story of police wrongdoing, prosecutorial discretion abused, and an innocent boy at the wrong place at the wrong time. The story was a convincing one. It was told with the same passion Tom always conveyed. There was something different from all the other stories Sam had heard. Somehow he didn’t believe it. It didn’t seem right.

Tom continued. Eventually, Sam was convinced that the case was a likely win. He was comfortable with Tom arguing for the client’s innocence. Something didn’t seem right though. Sam left the room somehow confused by the meeting.

Tom was silent. He stared out the window. He was finally ready to tell another story. A story of a boy who was also at the wrong place at the wrong time–a long time ago. This boy however was not right in the head. He was mixed up. He’d had too many things happen to him to be a friendly dinner date. The story Tom didn’t tell Sam would have been a short one. He would have set the scene in a bar, and closed in a bathroom. The story would not have been pleasant, but it was a story Sam deserved to hear. It was a story Tom should have told alot of people long ago. It was a story that would end properly with a judge announcing a single word at its close, “guilty.”

It was not a story Tom would consider telling again. In fact, he had to run to catch up with Sam to explain that they would have a new story to tell about their current client. That story alone would end honestly with the client’s soft uttering, “guilty.”

今年の「父の日」は、近所の友人にヒンズー教の神社へ誘われて、異文化の差を感じながら、改めて家庭を大切にしたいという気持ちを抱きました。

ヒンズー教の集まりへ参加するのは、初めてでした。インド出身の人がほとんどで、女性は色鮮やかなサリーという伝統衣装の姿が多くて、男性は、インドの暑苦しい夏に最適なうすい綿の洋服の人が多かったです。神社へ入った瞬間は、衣服と神社の飾りのカラフルな雰囲気が印象的でした。

礼拝が始まると、伝統楽器のタブラ太鼓やエレクトーンから音がアンプ付で大量に流れ出しました。最初は、音があんまりに大きかったため、一緒に連れて行った娘のことを心配しましたが、インドの特徴的なパーカッションの振動に揺れだして、ヒンディで歌いだす人の声になんらかの安らぎを感じ出しました。なれない言葉の詠唱をしばらく聞いていると突然止まったことに驚きましたが、途中でのポーズに全然違和感も感じないような、リズムによくのって音楽が止まって、グルの説教が始まりました。

グルの説教は最初から、父親であることについて、様々なストーリーを中心にした家族にとっての父の存在や、父としての役割を考えさせるような話に集中しました。友人は説教が30分で終わるようなことを言っていましたので、その時間を過ぎてきてから、私は引越しの準備などの仕事が家で待っていることが心に浮かび、すこし集中しにくくなりました。しかし、それでも思い出に残るような話が多かったです。以前、聞いたことがあるストーリーは多かったですが、話のもって行き方やちょっとした言い回しの違いで新鮮に聞こえて、こころまで響きます。

まずは、金箔の紙を破る娘さんの話からでした。娘は、お父さんが大事にとっておいていた金箔の紙を破ってしまいまして、娘がお父さんにとことんに怒られます。しばらくしてから、娘はその金箔の紙で作った箱をお父さんに持っていてプレゼントします。お父さんがその箱を開けると、中が空っぽだということに気づいて、空っぽの箱をプレゼントする娘に腹が立って、怒りに落ちてしまいます。娘は謝りにもう一度お父さんのところに戻りました。なんで空っぽの箱をプレゼントしたかとの質問に対して、彼女はお父さんに空っぽではないと答えます。”パパ、この箱は私からのパパへのチュウと愛で一杯でしょう。パパ、見えるでしょう。”と答えると、お父さんが涙を零してしまいます。

私はせっかちな性格を持っている欠点を見直すよい機会になりました。引越しの準備などで、家庭内はテンションが高くなっていることに少し注意して、家では気を静めるようにしたいという気持ちになりました。

最後の方は、1時間も時間オーバーして、かなりあせってきました。最後の話は、仏が最初に老いや苦難を経験する話でしたが、よく知っているつもりの話でもあったので、早く終わってくれないかとの”せっかち”な気持ちを抑えようと頑張っていました。家の地下に物者がまだまだなくなっていない状態が目に浮かびながら、グルが仏教でもっとも重視する「無の心」(物や人に愛着を持たない話、DETACHMENT)の話に入りました。なかなか無くならない家の中の物のことを考えながら、あの人にそれを譲ろうなどと、物の整理のことを気にしている気持ちが一気にすっきりして、”もういいでしょう、ものを全部GOODWILLへ持っていこう”と決心がつきました。もったいない文化で育った私にとっての必要な知恵、助言は、私が若いころ通っていたカトリック教会ではなくて、初めて行ったヒンズー教の神社で承ることができたという、ちょっと不思議な父の日でした。

I am very pleased to be speaking at the The 33rd Research Conference on Communication, Information and Internet Policy (http://www.tprc.org/TPRC05/2005.htm) next week. I’ll be presenting my paper The “Ham And SDR Sandwich”: Innovation and Enforcement Issues for Free and Open-Source Software on Software-Defined Radio Devices. http://web.si.umich.edu/tprc/papers/2005/480/SDR-HAM-JamesMiller.pdf

I was so happy to have worked on the Software Radio (SDR) and Cognitive Radio issues at the FCC. It was a surreal opportunity to mix my interests in legal theory and Artificial Intelligence, not to mention embedded computing systems and wireless technology.

I’m pretty happy with how the paper turned out except I wasn’t able to be as free with my thinking as I’d liked. I’m working on another article (the continuing saga..) that discusses the role of software and the ability to model rules/standards to extend the current regulatory structure of wireless to be more flexible and enforceable at the same time. If you’re interested in reading drafts, drop me a line. I’ll be posting the draft soon on the website.

My first day as a Mansfield Fellow at my first placement–the Ministry of Communication of Japan. There are obvious things like, 50 people working in a small room at desks crammed next to each other, that should make me feel dramatic differences between the FCC and MIC.

However, I am surprised that nothing seemed all that different. Alot of people working together on subjects that maybe one in ten family members have a chance of understanding the immediate significance of. [yes I like dangling participles..] A room full of nerd lawyers, engineers, and economists can only support a certain limited set of new conversations I suppose..

I’m really looking forward to this year. I’ve been in Japan for two months and it’s already been a total blast.

Ok, I’m not happy. I finished my first day of work at the Ministry of Communications of Japan–my first day of work in Japan on my Mansfield Fellowship, and sat down to write a nice English blog… for everyone complaining about the headache inducing Japanese articles… Only to find the entire /public_html directory containing all my web content had disappeared..

Earlier this year, I broke down and moved the website to a hosting company when my “broadband” connection became increasingly flaky.

Now the hosting company has a catastrophic data failure.. with no backups.. and I’m still unpacking. Arg..

Well, it was a good time to clean house at nihonlinks.com anyway..

平成5年から9年までの4年間、私は金沢で仕事をする機会に恵まれた。公私において充実した毎日で、自分が成長したという認識を得られたこともあり、次の人生に踏み出すために、私はしぶしぶ金沢を離れた。8年前のことである。

アメリカ帰国直後、サンフランシスコに居をかまえ、インターネットの「高度成長時代」を体験。技術的知識をふんだんに学んだが、ビジネスや政治、さらに技術産業を統制する「ロー(法律)」というものに目を奪われた。そこで法科大学院(ロースクール)に入り、弁護士資格を収得し、連邦政府の公務員の仕事に就いた。そして今年、政府の派遣で一年間日本の中央政府で研修を受けるために、8年ぶりに日本へやってきた。霞ヶ関に着任する前に、金沢で6週間の研修もあるため、「第二故郷」の金沢への里帰りできた。

「8年ぶりの金沢っていかがですか」とよく訊かれるが、なかなか一言で表現しずらい。答え始めると、8年前の自分自身を思い出しながらこれまでの道を振り返り、「人生とは」という硬い話になりがちだ。

8年前と比べて、金沢は風景が多少変わったが、古き良き金沢に変わりはない。幸いにも大きな地震や大火などの自然災害を何百年も被ることなく、第二次大戦の空襲も回避した金沢は、武家屋敷や寺町、兼六園がそのままの姿で残存している。確かに金沢西駅の近くには、県庁などと、高層ビルがたくさんできてきて立派になった。その半面、金沢西高校がむかしポツンと田んぼに囲まれていたような風景が失せ、すこし寂しい気持ちにもなる。郊外に商業店が増えて便利になっている中、小さすぎも大きすぎもしない金沢が今後、どういう町に育っていくのか眺めていきたいと思ってもいる。

8年前の滞在のとき、県の仕事で県内のいたるところへ行く機会に恵まれ、石川県の魅力をふんだんに満喫した。しかし今回、昔、目が通わなかったところに新しい発見をした。通勤に使っていた道を自転車でゆきながら、わき道をチラッとみると、初めての風景がそこにあったりするのだ。

過去8年で、金沢が変わったというより自身が変わったということの方が多い。普通であれば、生活水準や性格に大きく変化があるだろう。私の場合は、二人の子供が生まれ、彼らの喜んでいる顔を見る幸せを覚えた。スキルをレベルアップしたことで政治・経済ついてはもちろん、世界を見る目も変わった。日本文化を見る目も少し変わってきた。

私は昔から、日本文化に強い関心を抱いていた。バスケットボールや野球をテレビで観るより、能楽の謡と仕舞の稽古、琴の稽古を好む方だった。

12年前、すでに謡本を読んでいたが、今になって本当の意味が少しずつ理解できていると思う。私は能楽が日本の審美論、歴史、仏教などの様々な古典文化を織り込んでいる点が、たまらなく好きだ。深く理解しはじめると、観賞しているときに必ず新しいものにふれることがある。能を取り巻く知識がかなり問われることもある。しかし、その知識によって、以前よりも興味深く感じることになっていると最近、痛感している。

以前、県の仕事していたとき、県主催の日本文化日本語研修で来ていた留学生に陶芸、茶道などの体験させるため、同行したことがある。しかし、自分では一度も体験したことがなかった。今回、以前指をくわえて眺めているだけで、ずっと体験したかった茶碗作りができた。そこで有名な陶芸家の先生に、茶碗の審美論について丁寧に語って頂いた。武士が嗜んだ茶道、さらに茶碗の形状の違いで飲み方も違ってしまうといった奥の深さ、茶碗をみる喜びなども教えて頂いた。今回、茶道を初めて体験してみて、先生が口にされた「武士の茶」という言葉が頭に残った。さらに、偶然にもそこで飲んだのが「武士の茶」というお茶だった。やはり武士といえば、どこへ行っても一曲謡を歌わないで帰ることがない人たちであったはずで、能楽マニアックの私は「武士の茶」と妙な関連があるように思えてならない。

それで思い当たったのが「お茶時」という儀式である。お茶を飲んだ武士が、「肴」の代わりに謡を一曲歌ったということだ。もし私が昔から謡の稽古をしたことが無く、茶碗について多少の知識もなかったならば、その話はまったく面白いと感じなかっただろう。

そこで、人生のコツをひとつつかめたような気がする。なぜ人口2千5百人しかいないようなアメリカの片田舎からでてきた者が、石川県でこういう貴重な経験をしているのか。東京の霞ヶ関で一年間日本の中央政府で研修することができるのか。それは一つひとつのチャンスを見逃さないで、小さな知恵を重ねて活かそうという心得が多少なりともあったからだと思う。

最近、「semanticweb」という情報処理用語がインターネットで流行っている。知識や経験というのは連結してこそ、累積してこそ濃くなるという意味である。

人生で言えば、昔の自分があってこそ、今の自分がある。簡単なことである。決まり文句かもしれないが、知識を身に付けることは、人生を楽しむためのものに違いない。いや、道具であり、言葉は特にそうだろう。

言葉をマスターするのは、どれだけ難しいか、日本で英会話の勉強で頑張っている方であればわかるはずだ。しかし、言語は道具に過ぎないとも言える。自分の目的に見合った使い方さえできていれば良いようにも思える。例えば、一本の木を植えるには穴を掘らなければいけないが、だれも「スコップを上手に使えるようになりたい!」と努力などしない。どんなにシャベルの使い方が上手になっても、その目的は穴を掘ることにしか過ぎないからだ。

しかし、この例を選んでしまったことでさえは、私がまだまだ未熟なものだと表している。日本3名園の一つである兼六園で、何百年に亘って貴重な役務を果たしてきた植木の職人さんにとってみれば、木がよく育つには、穴を掘ることまで、コツがあるという。さらに、昔植木さんは謡を歌えながら仕事をしていたとも言われている。だから、言葉は道具にしか過ぎないともいえるかも知れないが、やはり、その道具には、手法、日本流で言えば「方」というのもあるに違いない。

言葉は、ひとつ覚えると違う世界が見えるようになると言えるかもしれない。少なくとも、私が始めて18年前、福井で日本語に触れてから、自分の人生がすっかり楽しいものになった。何かめでたい気持ちでさえある。鶴亀か高砂など、一謡いかがなものでしょうか。